青年会議所をPRする良い機会と捉え、筆不精な私ですが前向きにリレーのバトンを受け取りました。
500文字程度の文章に想いを込めるのには苦労しましたが、少しくらいは青年会議所の良さを伝えることができたのではと思っています。
理事長所信にも書きましたが、JCは決して内部で勉強するためだけの場所ではありません。
自らが考えを深堀りし、探し当てた“核心”を行動に移し替え、社会に説得力をもって“行動で”訴えかけるところに真の成長が見込めます。
と、何だか偉そうになってしまいましたが、そのことを実証する意味においてもまずは理事長である自分が率先して示すことが大事です。
近々、皆様の前で公式に発表できることがあるかも知れませんので、その際は応援よろしくお願いいたします。
正しく痛恨の極み。
『県議なんて、誰がなっても自分の生活に影響ない…』
『そもそも立候補者の “人となり” を知らないし、わざわざ時間をかけて知ろうとも思わない』
そんな意識が蔓延していることが、国内最低クラスの投票率に繋がっているのではないでしょうか?
民意の反映されない政治と、それによる地域社会の構築。
もしそれで真に構わないなら私たちのやっていることに意味はありません。
しかしそうではないと信じるからこそやっているのです。
昨日お伺いした徳島新聞社さんは早速記事にして頂きましたが、ここに記載されていることは私が話した内容のごく一部に過ぎません。
ことの真相を投稿することはしませんが、結果として1名の立候補表明者しか参加の意を示していただけなかったことに、現在の選挙制度とそれを取り巻く環境への問題意識を抱いています。
そして、公開討論会を通じて立候補者の“人となり”、その核心に迫ることも必要であると考えています。
個人を攻撃することでは決してありません。
その方のポテンシャルを最大限に発揮してもらいながらも、立候補者の違いをそれぞれ明確にするということです。
同時にそれが、票を投じる私たち有権者の『見る目』を養う大きな機会にも成り得ると信じています。
また、有権者としての『責任』も感じていただきたかったのです。
例えば、問題を起こした議員に批判を浴びせる前に、『ちゃんと見て選びましたか?』『そもそも投票には行ったのですか?』と自身に問いかけて欲しいのです。
現在の日本社会においてはこの意識が圧倒的に欠如していると感じています。
今回の県議選公開討論会は、その現状に一石を投じる意味おいても『地方創生』に加え『政務活動費』の問題を避けて通ることはできませんでした。
理事長である私自身がコーディネーターを務めるべく勉強を重ね、準備をすすめていただけに開催断念は悔やんでも悔やみきれません。
でも、この苦い汁の味を私は決して忘れません。
そして次の機会への糧とすることを自身に誓います。
いつの日かこの社会が真に主権者意識を持った若者で溢れ、政治の世界にも良きリーダーが数多く出てくることを心から願い、これからも主体的に行動し続けます。
志半ばのあまりにも早すぎる死
市議会議員として一昨年の11月に初当選を果たしてから幾許もない訃報に耳を疑った。
会うたびにいつも、
『次は出馬よろしくね。』
と、満面の笑みで冗談交じりに言ってくれた姿が頭に浮かび、心が痛む。
最後にお会いした昨年の秋、故人から政治活動に纏わる資料を頂戴した。
『時間があるときにでも見ておいて。』
そう気軽におっしゃって頂いたこともあり、忙しさに感けて亡くなる当日まで本棚に立て掛けておいたままであった。
訃報を耳にしたその夜、資料のことが頭をよぎり、厳重に封を施したA4の茶封筒に手を伸ばす。
中からはCD1枚に加え、図らずも手紙が添えてあった。
そこには自らの政治活動を振り返り、これまで何を感じ、何を得て、そしてどうあるべきかについて記されていた。
ところどころ、自らの死期が近づいていることを示唆しているとも取れる表現があり、筆者の心情を感じながら読むと心痛に顔が歪む。
なぜもっと早く目を通さなかったのだろう…
いまさら胸を痛めること自体が虚しい。
『遺言』と言えばあまりに大袈裟だが、少なからず想いを託して頂いたJCの後輩として、どうやって故人に報いるべきか。
考えた挙句、自分にできることはたった一つ。
青年会議所理事長としての“今”に全身で向き合うこと。
その名に恥じない瞬間を積み重ねることでしか、今の私には報いる術がない。
身近な先輩の逝去に際し、また一つ生きる強さを噛みしめることができました。
どうか、安らかにお眠りください。
本当にありがとうございました。
合掌