当事者意識 、 見えない貯金

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東京五輪の会場となる新国立競技場の建設を巡って世間が騒がしくなっています。

この問題のキーワードはズバリ 『当事者意識』

都に580億円もの費用負担を求めた文科相より舛添知事に“当事者意識を持って欲しい”との要望がありましたが、なんだか違和感を覚えました。

大幅な予算オーバーに繋がったその責任の所在を明確にすることなく、知事との十分なコンセンサスがない状況で、その尻拭いをお願いする相手に対して当事者意識を上から目線で求めるのはナンセンスだと思ったからです。

デザイン案の選定のみを請け負った安藤氏に矛先が向けられたのはもはや論外。

政府も様々な思惑があり今になって計画を白紙撤回しましたが、その背景には上記の問題があるのではないでしょうか。

国会を含めた大組織は、責任の所在が誰かに帰結しない判断をすることが多くあり、そもそも会議とは責任を分散させるために存在しているようにも思います。

 

話かわって、昨日は阿南JCの7月度例会が開催されました。

委員長を中心に、入会年度の浅いメンバーも協働して議案の作成も含めた会の設営に臨んでくれました。

JCは言わずと知れて、事業計画をもとに理事会での協議を経て、予算の執行を含めた実行に繋げる組織。
ここで成されるのは“責任の分散”というよりもむしろ“当事者意識の共有”です。

たかが例会かも知れません。
しかし、事業の構築を経て育まれる意識は掛け替えのない財産にもなり得ます。

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そして、今週末の金・土2日間で開催される阿南の夏祭りにて執り行う『光の切り絵さんぽ道』に向け、昼夜を問わず準備に向き合うメンバーも居ます。

双方ステージは違えど、当事者意識を高く持ち取り組む姿勢に変わりはありません。

 たかが例会、たかが事業の一つと思われるかもしれませんが、その積み重ねを通じ私たちは 『見えない貯金』 をしています。

対価の発生しない活動であるからこそ、臨む姿勢に人としての真価が問われます。

損得勘定なく常に誠実である人、そうでない人。
最後まで自らの責任に向き合える人、そうでない人。
役職関係なく相手をリスペクトできる人、そうでない人。
聴く人の立場で言葉を送ることのできる人、そうでない人。
過去の功績に縋らず常に謙虚で居られる人、そうでない人。

JCは良くも悪くもその人の内面を映し出し、ある意味裸にさせられる場所です。

だからこそ、そこで得られた信用や信頼はその後の人生において大きな財産となります。

卒業まであと164日。

見えない貯金をどこまで積み立てることができるでしょうか。