鎖からの解放~当事者として今だから言えること~

6月19日徳新1

重い鎖が1本、身体から抜け落ちました。

この数カ月、正直生きた心地がしませんでした。

様々な事情を最大限に考慮しSNS等での発信を避けてきましたが、ようやく口を開くことができます。

3月16日議会で己が魂を込めて臨んだプレゼンテーションに端を発し、それからの3ヶ月間、自身が予想していた以上の政争に巻き込まれる運びとなりました。
と同時に、選ばれた際のことを考える時間が図らずも増える中、思いは深く、そして広くなって行きました。

私はただただ、施設の運営を通じて官と民とが手を携え、地域の未来への想いを共有し歩んで行くことだけを考えていました。
誰が何と言おうと他意はありません。

プレゼンの冒頭で言ったことがあります。
『今から私が語りかけるのは、町民の付託を受けてまちの未来を担う議会議員としての皆様の“矜持”です。』

そこまで言うだけの覚悟はありました。
これほど様々な役職と担いを受けている状況でも、指定管理者に選ばれたからにはリスクを承知で何が何でもやり通すという覚悟が。

雌雄を決する今月18日の議会前日、とある議員の方から連絡をいただきました。
『こんな酷い状況になってしまい、正直いまどのように考えていますか?』

こう答えました。

僕だって人間です。
毎日が不安で一杯で、日を追うごとにそれは大きくなり、『こんなことになるって分かってれば…』って思う気持ちは正直あります。
でも変わらないことが一つだけあります。
いかなる状況に陥ったとしても、付託を受けたからには自身の言葉に責任を持って最後まで臨む覚悟だけは変わりません。

そしてこう付け加えました。

もし既に勝負の行方が完全に見えているのなら、当事者としてお願いしたいことがあります。
それは、これほどまでに混乱を招いたその終着点においては、選ばれる方にとって少しでも前に進む“勇気”に繋がる判断をして欲しい。
自身の考えを貫き通したい気持ちと、各々がそうあり続けた結果割を喰うのは町民であるという自覚の狭間で苦しんでいるのでしたら、尚更足並みを揃える必要があるのではないでしょうか?
まちという舞台において主役が町民であるなら、自らの役どころに徹することをもって“矜持”に置き換えてみてはくれませんでしょうか?

結果は 賛成13 、反対 2

理由はいくつかありますが、心はとても静かでした。

もちろん、紙面に載っていることは事実のほんの一部に過ぎず、メディアには決して載ることのない真実があることも否定しません。
変な話かもしれませんが、政治の世界を内側から見る大変貴重な機会であったとも言えます。

しかしながら、自己顕示欲も含めた感情に少なからず流され、知り得る真実をつまびらかにすることに、“自分以外の他者にとって”どんな意義があり、結果を招くのかということを真摯に受け止めなければなりません。

それが、“自らを知る”ということだと思います。

そして、高尚な“自由”とは、自己を貫き通した結果当然のように孤立していくことでは決してなく、同じく自分や周りの心に鈍感になって人と調和することでもなく、自由とは、周囲に叩かれる中で自身に向き合い、表現力を磨き、小さな成功を重ね、熟練し、自分の意志で人と関わっていけるようにしていくことではないでしょうか。

この度の一連の出来事は、私の一生に少なからず影響を与えました。

やはり、まちの未来を考えるとき、政治と民間を切って離すことは決してできません。

『個人の自律性と社会の公共性が生き生きと協和する確かな時代』
これはJCの宣言文にもある私の好きなフレーズです。

どのような道を選ぼうとも、自分の心に『正直』でありたい。
そして自分に正直であり続けるためにも、自己を磨き続けたい。

最後に、選定を受けたケーブルテレビ阿南さんのご健勝と、那賀町の未来が明るく豊かであることを心より祈っています。